「子どもは自由にのびのび育てたい、でもそれって放置?」 自由と放置の違いとは。

 

子どもは自由にのびのび育てたい!

 

子どもが生まれる前にそう願う人は多いのではないでしょうか。

 

でもいざ子どもが生まれると、自由でのびのび育児に難しさを感じる人も同じように多いと思います。

 

「どこまで自由にさせたらいいんだろう?」

「子どもの自由に任せるなんて、子どもを放置することになって、親の責任を放棄しているんじゃないだろうか。」

「子どもは親が管理しないと、歯止めが効かなくなるに違いない。」

 

しかし、過干渉でなんでもかんでも子どもを縛ってしまうのは違うような気がする。

 

あー、どうしたらいいの?

線引きがわからない。

 

自由にのびのびさせる子育てはどういうものなのか、探っていきながら、親と子どもが心地よくてちょうどいい、自由でのびのび子育てを提案していきます。

 

どうして自由にのびのび子育てしたいのか

 

 

どうして子どもを自由にのびのび育てたいと願うのでしょうか。

 

子どもを自由にのびのび育てたいと願う人は、どこか、自分が窮屈に育った実感があるのかもしれません。

本当に自由にのびのび育った人が親になると、子どもを自由にのびのび育てることは当たり前に自然にできてしまうことで、自由にのびのび育てたいと願うこともないはずだからです。

例えば、歯を磨くことが当たり前なら、歯を磨きたい!と願う前に、磨いてますよね。

そんなイメージです。

 

「片付けなさい!」

「起きなさい!」

「勉強しなさい!」

 

口うるさく言えば言うほど、子どもが委縮したり、反抗的になったりする姿を見て、どこか胸が痛むのは、小さいころ同じような経験をした可能性が高いです。

 

自由と放置の違い

 

しかし、子どもに何も言わず、自由に好きなようにさせると、お菓子ばっかり食べたり、ゲームばっかりしたり、夜遅くまで起きていたり、寝坊ばかりしたり、人に迷惑をかけたり、良くないことが起きそうな気がする。

何も言わなかったら、それは子どもを放置することになるんじゃないだろうか?

 

では自由と放置の違いは何なのでしょうか。

 

世田谷区桜丘中学校の例を挙げながら考えてみたいと思います。

 

校則を全廃した公立中、世田谷区立桜丘中学校

 

 

世田谷区桜丘中学校は以前はとても荒れていた中学校だったそうです。

でも2010年、現校長である西郷孝彦校長が就任してから10年かけて自由で多様な中学校に変えていきました。

 

・制服なし

・校則なし

・持ち物の規制なし

・チャイムなし

・授業参加の強制なし

・黒板の写真 OK

・タブレット使用OK

・何時に来てもいいし、何時に帰ってもいい

・定期テストなし

 

そんなびっくりするほど自由な学校ですが、名門・日比谷高校や早慶など、進学実績も都内随一を誇るそうで、学区内に転居してまでこの学校に通う生徒も少なくないとのことです。

 

「楽しさを知らなければ、幸福を追求することはできない。だから楽しい3年間を過ごしてほしい。」というのが西郷校長の理念。

楽しくないことを廃止していき、理科の授業での3Dプリンター導入や、スマホ・タブレット使用可能など革新的な授業を取り入れていった結果、今のような状態になったそうです。

 

子どもを自由にのびのびとさせることに抵抗を感じる理由の一つに、子どもを管理しないと子どもは歯止めが効かなくなりやりたい放題してしまうかも、という不安があると思います。

しかし、桜丘中学校の例を見てみると、子どもを自由にさせることは学ぶ意欲と学力向上につながっているようです。

 

自由は信頼の上に成り立っている

 

子どもを校則で縛るのはなぜでしょうか。

守るべき校則がないと、自分で自分を律することができずに、非行や暴力沙汰など、子どもが悪い方向にいってしまうという怖れがあるからです。

つまり、制限がなかったら子どもは悪い方向にいってしまう、という子どもへの不信感がベースになっています。

 

一方、校則をなくす、ということは、子どもへの信頼感がベースになっていると思います。

校則をなくしても、この子たちは大丈夫。

 

校則という中学校の常識を廃止していく過程で、保護者や教師たち、地域の反発があったと聞きます。

その反発を理解に変えていくことに時間とエネルギーを割いていったのは、西郷校長自身が子どもたちに対しよほどの信頼感があったのだと想像します。

 

西郷校長はこうも言っているそうです。

「お互いを信用できないような関係は、不幸でしかない」

 

では放置の状態とは一体何なのか?

 

 

子どもを自由にさせることは、放置にならないのでしょうか。

桜丘中学校の例を見ると、自由=放置とは言えないように思います。

 

なぜ自由が放置にならないのでしょうか。

そこには信頼関係があるかどうかが関わってくるように思います。

 

ルールで縛らず口を出さずに見守る。

子どもが失敗しても信じて見守る。

それが子どもをのびのび自由にさせる子育て。

 

一方、放置とはあきらめてほおっておくこと。

子どもが失敗したとしても自分には関係ないとしてそっぽを向くこと。

 

過干渉の裏返しが放置とも言えるかもしれません。

子どもに「〇〇であって欲しい」という期待があり、期待通りであって欲しいと、「ああやれ」「こうやれ」と口出しをするのが過干渉。

そして、期待は沢山あるけれど、どうせ無理だからとあきらめて見放して、何もしないようになったのが放置。

 

過干渉にも放置にも、ありのままの子どもに対する信頼はありません。

 

自由でのびのび子育てに必要なこと

 

 

桜丘中学校の例を見ると、子どもを信頼しながらのびのび自由に育てることは、子どもの可能性を大きく伸ばしていきそうです。

 

そして子どもを信頼すると同時に必要なのは、自分自身を信頼することかもしれません。

 

実際、西郷校長が保護者や他の教師・地域の反発を前に、(自分は間違っていることをしているのかも)と自分自身を信頼しきれず、「子どもたちには3年間楽しく過ごしてほしい」という自分の理念をあきらめたら、今のような学校はなかったわけです。

 

同じように自由でのびのびした子育てを志しているときに、周りから、例えば自分の親や、先生、ママ友などから、

「そんなに自由にさせていて大丈夫?」

「このままじゃ手におえないわがままに育っちゃうわよ。」

「遊んでばかりで勉強しなくなるはず。」

などと言われたら、自分はいいと思ってしていることを疑いたくなってしまうでしょう。

 

そんな疑いの中で、子どもが失敗したり、一見悪い方向にいっているように見えたなら、「やっぱり私は間違っていた!もっと子どもには色々言った方がいいんだ。」とブレることもよくあると思います。

 

そうなると、子どもを見守ると同じように自分を見守る余裕を持つことも大事でしょう。

そして「失敗してもこの子は失敗から学んで次に活かせる」と子どもを信頼すると同時に、自分自身に対しても、「私は失敗から学んで次に活かしていける」と信頼する。

 

子どもを信頼することと、自分を信頼することは同じなのかもしれません。

 

 

まとめ

 

 

 

以前、子どもを縛らず自由にさせておくことは、親が楽をすることではないだろうか、と言っていた方がいました。

子どもへの関心を持つ親なら、心配して干渉して苦労することこそ愛ではないかと。

 

いやいや、実際は子どもに干渉するほうが、子どもを自由にさせておくよりずっと楽です。

 

自分の中にある、子どもへの不信感を、子どもを変えるエネルギーとして使う方が楽だからです。

 

自由でのびのび子どもを育てる場合、子どもへの不信感を外には出さず、見つめることが必要です。

なぜ、子どもを信頼できないのか、それは自分の中の心の問題を映し出しているだけではないだろうか、と深堀していくのです。

すると、ずっと奥に隠していた小さいころの傷ついた想い(インナーチャイルド)が発見できたりします。

 

詳しくはこちらを参考にしてください。

 

でも子どもへの不信感から子どもを変えようとしても、うまくいかない場合が多いでしょう。

 

西郷校長はその著書の中でこう述べています。

「親が子どもに対し、「ああやれ」「こうやれ」と過干渉になることは、子どもから考える力を奪ってしまいます。

それだけでなく子どもはストレスで押し潰されそうになり、問題行動になって表れます。

すると親は、さらに締め付ける。

問題行動はますますひどくなる。

負のイタチごっこです。」

 

桜丘中学校で実際に起こったことを、自分の子育てに活かしませんか。

 

まずは自分と子どもを信頼するところから始めましょう。

 

 

 

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