勉強ができることはいいことなのか?

 

勉強ができることはいいこと

勉強ができるに越したことはない

 

子どもにはのびのび自由に育って欲しいと思いつつも、上記のように感じられる方は多いように思います。

 

さて、勉強ができることはいいこと、なのでしょうか。

 

幅広い観点から子育てするためにも、一見当たり前にも思えることに、ちょっと突っ込んでみたいと思います。

 

勉強とは

 

 

さて、勉強ができるってどういうことなのでしょうか。

 

まず勉強という意味をgoo辞書で調べると、以下のように載っていました。

 

① 学問や技芸などを学ぶこと。「徹夜で勉強する」「音楽を勉強する」

② 物事に精を出すこと。努力すること。「何時までもこんな事に―するでもなし」〈福沢・福翁自伝〉

③ 経験を積むこと。「今度の仕事はいい勉強になった」

④ 商人が商品を値引きして安く売ること。「思い切って勉強しておきます」

 

世間一般的には、勉強と言葉にするときは、①を指すことが多いでしょう。

 

勉強の語源は「勉め強いる」で、本来は気の進まないことを仕方なくする、という意味だったそうです。

明治以降になり、知識を獲得するために努力を重ね、学問することが美徳とされるようになると、「勉強」は「学習」と同じ意味になり、一般にも広く使われるようになったとのこと。

( 引用:由来・語源辞典 )

 

勉強を英語で訳すと、「study」。

語源はラテン語の、studiousという形容詞の単語で、意味は【情熱、熱意】だそうです。

 

勉強の語源が【仕方なくする】というイメージなのに対し、studyの語源が【情熱をもってする】というイメージで、その二つの対比が面白いですね!

 

勉強というと、気が進まない感じや嫌々する感じがするのは、語源からしても当たり前なのかもしれません。

 

勉強ができるとは

 

 

さて「勉強ができる」ですが、大人に対してよりも子どもに対してよく使われるように思います。

いい年齢の同僚や、ママ友さんに対し、「あの人、勉強ができる」とはあまり言いませんよね。

大人に対して「勉強ができる」と使う時、(昔、学校で成績がよかった)(偏差値の高い大学を出ている)というような裏の意味が隠れているように思います。

 

そのことからも「勉強ができる」とは【学校の成績がよいこと】【テストの点数がよいこと】【偏差値が高いこと】を意味するように思います。

Webで「勉強ができる」と検索すると、やはり上記のような意味で使われているので、一般的にもそうなのでしょう。

つまり「勉強ができる」とは、テストや成績という学校制度の中の相対評価において、つまり他人との比較において、優れているということを指すのではないでしょうか。

 

そして英語の語源のように【情熱をもってする】というようなニュアンスは「勉強ができる」という言葉には含まれていないような気がします。

 

勉強ができることはいいこととされるのはなぜ

 

多くの子育て中の人にとって、子どもが「勉強ができる」ことはいいこと、としているように思います。

 

 

それはどうしてでしょうか。

 

職業の選択の幅が広がるから、という答えが一般的だと思います。

 

① 勉強ができる → 希望する学校に入りやすい → 職業の選択肢が広がる → たくさんの選択肢あるので希望の職業が見つけやすい

 

という流れでしょうか。

 

もちろん、

 

② 勉強ができる → 希望の職業につくための試験に受かりやすい

 

という流れもあると思います。

 

 

また勉強ができると、高収入で安定した職業につきやすい、と考える人も多いでしょう。

まさに、今、親世代の私たちが学生だったときは、そのような考え方が一般的だったからだと思います。

 

勉強ができることはいいことなのは、希望する高収入で安定した職業につく可能性が上がるからだとして、なぜ希望する高収入で安定した職業につくことはいいことなのでしょうか。

それは「高収入が保証された、やりたいことをやる人生を送るのが子どもにとっての幸せ」だからではないでしょうか。

つまり、勉強ができることは、将来の幸せにつながる、とも言えるかもしれません。

 

 

勉強ができることはいいことだ、を疑ってみた

 

 

勉強ができることはいいこと、という考えをみてきましたが、では反対に、勉強ができることがいいことなのか、疑ってみます。

 

前述したように、この記事では「勉強ができる」とは【学校の成績がよいこと】【テストの点数がよいこと】【偏差値が高いこと】を意味するとします。

 

すると勉強ができる子どもは、現代における学校の授業内容やテストの内容からして、幅広い知識やテスト問題に対する答えの導き方を記憶する能力を有している、とも言えるでしょう。

つまり、答えはすでにあって、それを正しく記憶し、正しく答えられれば成績が上がるのです。

 

ものごとを記憶しその記憶を忘れずに定着するには、「繰り返す」、「アウトプットする」だけでなく、「感情」や「興味」が重要とされています。

確かに興味があることはすぐ覚えられて、なかなか忘れませんもんね。

電車の名前を沢山記憶するなど、自分の興味あることには驚異的な記憶力を見せる子どもも多いです。

 

しかし学校の教科に自然と興味が持てるかどうかは、子ども次第かもしれません。

教科を教える先生の影響も大きいでしょう。

 

また、将来〇〇の研究者になりたいから、〇〇の研究ができる■■大学に行く、など、今の勉強が自分の将来につながっていることが感覚的に理解できる子どもは、自主的に興味を持ち、勉強ができるようになる可能性は高いでしょう。

しかし、そういった自分の将来が明確な子どもは少ないかもしれません。

 

明確な目標もなく、学校の教科に興味がないのに勉強ができるようになる子どもの中には、他者の評価を求めている子どもがいます。

勉強ができると親に褒められる、先生に認められる、周りから称賛される。

そういった他者からの評価から生じる快の感情が、記憶を定着させる原動力になっていることもよくあります。

 

そのような子どもは自分の気持ちよりも他者からの評価を優先するため、本当は自分は何がしたいのかがわからなくなっていきます。

本当の自分のやりたいことをやれないストレスがたまっていくので、どんどん子どもらしい明るさや軽快さを失っていきます。

そして勉強ができて、いい大学に入って、さぁ就職というときに、自分の希望する職業がわからない。

結局、無意識に親や周りが求めるような職業や生き方を選んでしまい、本当にやりたいことと違う人生を続けていくことにもなりかもしれません。

 

また人の評価を得られた時は快の感情ということは、得られない時は不快の感情を感じることになります。

落ち込んだり、イライラしたりするのです。

シーソーのような感情の起伏は子どもを消耗させます。

親や周りの人との衝突も多くなるかもしれません。

 

また、仕事というものは学校の勉強と違い、正解があるものではありません。

今まで、正解を提示すること(=勉強ができること)で評価されることを自分の価値としてきた人は、一体どうすれば評価されるのか戸惑うでしょう。

勉強ができることが、仕事ができることとはイコールではないのです。

今までの自分のやり方から抜け出せずにいると、どんどん仕事がストレスになっていきます。

 

上記のような視点から見ると、勉強ができることが100%よいこととは言えなさそうです。

 

 

これからの時代が求める人物とは

 

 

たくさんの知識を保有したり、その知識の中から問いに対する正解を導きだすような、勉強ができるために必要と思われる能力は、これからの時代、仕事においてはどんどんAI(人工知能)に取って代わられると言われています。

そして、代わりに必要となってくるのは、AIの苦手分野である、創造力を発揮できる人材とも言われています。

 

またこれからますます、社会の変化が激しくなっていくでしょう。

変化の激しい時代、高収入の安定した職業というものは少なくなっていくと予想されます。

例えば、高給で安定してると言われていた弁護士ですが、司法制度改革により弁護士の数が増え、収入面で厳しい状況に置かれている弁護士が増えてきているそうです。

 

とすると、これからは変化に柔軟に対応できる力をもった人材が必要とされてくるのではないでしょうか。

しかし、行動において自分の感覚より他人の評価を優先していたら、変化には素早く対応できなくなります。

これから先、勉強ができていた人たちの中には、時代の流れについていけない人も一定数以上現れてくるのかもしれません。

 

 

勉強ができることはいいことだ、に疑問を持ったなら・・・

 

 

勉強ができることはいいことだ、という価値観を持って、子どもと接することを悪いこととしている訳ではありません。

 

ただ、勉強できるのはいいことだ、として子どもと接することに対し疑問を持つようなら、その価値観を手放そうとしてみてもいいかもしれません。

 

そして代わりに、子どもを信頼してみようとするのはいかがでしょうか。

 

勉強ができてもできなくても、この子らしく生きてくれればいい。

 

親に信頼されて育った子どもは、当たり前のように自分自身を信頼することができます。

他人の評価に一喜一憂しない心の安定感を保ち、自分らしく創造力を発揮し、柔軟に変化に対応することが可能です。

 

また、親に信頼されていると思うと、自分の興味を持ったタイミングで勉強に関われるようになっていくでしょう。

勉強しなさい!と強制されればされるほど、子どもは学科に対する興味を失いがちになり、勉強は情熱をもってやるものから、気の進まないことを仕方なくするものになっていくのかもしれません。

 

まとめ

 

 

勉強ができることはいいことだ、という価値観に疑問を持つのは、親世代の私たちが子どものとき、親や周りからそういう価値観を強制されて嫌だった、という想いがあるからだったりもします。

 

子どもの勉強に向き合わされるとき、実は自分自身の過去に向き合わされているのかもしれません。

 

そういう私も実は子どもに対し、勉強はできないよりできたほうがいいよね、という価値観に揺さぶられるときがあります。

やっぱり自分自身、親から勉強ができることはいいこと、と刷り込まれてきた過去があるからだと思います。

 

その度に、何をしてもしなくてもこの子は大丈夫、この子には生きる力がある、と信頼の方にも目を向けるようにしています。

すると、自分自身が落ち着くと同時に、子どももありのままでのびのびと育っているように感じます。

 

子どもを信頼する、ということが難しく感じられる方はこちらの記事を参考にしてみてください。

 

 

 

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